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コミュニティの価値

世界はソーシャルに向かっています。様々なものがつながり新しい価値を生み出しています。今まで繋がることのなかった人たちがつながり、今までつながることのなかった知識がつながり、新しい価値が生み出されている昨今。とても素晴らしいことだと思います。新しい知識のほとんどが既存の知識の新しいつながりであることを考えれば、ソーシャルネットワークは今まさに新しい価値を生み出し続けていることになるわけです。
 
ただ、最近ちょっと考えていることがあります。広がり過ぎたコミュニティは単に今までとは別の種類の「マス」を生むだけなのではないかということです。

逓減

コミュニティの価値曲線

上の図のように、ソーシャルネットワークのコミュニティは収穫逓減な価値曲線を描くのではないかなぁと考えています。つまり、当初は見知らぬ個人が繋がることによって、どんどん価値を生み出すコミュニティが形成されていきます。この段階でのコミュニティの価値は参加者が増えることによって増えていきます。そして、ある一定時点を超えた時にグッと価値がつり上がるのです。

しかし、ある程度の人数を獲得したコミュニティの価値はその後ほとんど増えなくなり、さらには許容人数を超えるとコミュニティの価値が毀損し始めるのではないかと思うのです。何故かというと、コミュニティの品質は参加者の平均だからです。誰しもが参加できるコミュニティの価値はどんどんと平均へと近づいていってしまうのです。

最初は尖っていたサービスも、参加者が増えるにつれて普通になってしまいます。Mixiも広がりすぎて閉じたコミュニティを放棄してきていますし、参加者の高度な質問と回答を売り物とするQuoraも参加者があまりに増えれば質が落ちていってしまいます。そして、また特徴の無い「マスサービス」が出来上がってしまうのです。

様々なサービスが陥った罠
 
これは、新聞・テレビの凋落からも想像できます。最初は新聞を取っている人は知識人だったのですが、購読者数が増えて段々と一般大衆化されてしまいました。その結果尖った意見を発信しづらくなり、どんどんと特徴がなくなってしまったのです。

TVも視聴者数が多くなるにつれて、様々なユーザーの興味に番組が応える必要が出てきてしまいました。結果が平均的な視聴者を想定したつまらない番組の量産です。インターネット上のソーシャルコミュニティも同様の変遷を辿ってしまうことを心配しています。
 
解決策?

では、それを避けるためにはどうすれば良いのか。それは、コミュニティをどこかで閉じることです。完全にオープンな広場には、皆が集まりすぎてどんどんと平均への回帰現象が起こってしまいます。
 
このコミュニティを閉じるタイミング、そして規模を考えることがサービス提供者の腕の見せ所になってくるのでしょう。最初は様々な人に門戸を広げる一方、徐々にユーザーを絞ることによってコミュニティの質を保つのです。

それが本当に上手なのがAppleなのだと思います。彼らは確実に一定のユーザーを捨てています。例えばFlash問題であり、例えば雑誌問題であり。でも、Appleという企業と製品を核に形成されるコミュニティは高度な品質をキープできています。
 
全ての人に好かれるサービスなんてないのです。ソーシャルネットワークも同じです。特徴の無いマスコミュニティになる前に、どこかで閉じられたコミュニティとなる必要があります。この閉じるタイミング、規模を考えるということは、皆に受け入れられるサービスを作り出した一部の達人にのみ課されるさらに難しい問題なのだと思います。

何かコミュニティを作ろうッ!と思ったときに注意するべき点ではあります。高度な悩みですけどね。

ではではー

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