できればディープに考えたい!

その仕事を選ぶ理由 - How & What

人が仕事を選ぶ理由は大きく分けると2つしかないと思います。

 

会社選びは課題選び


就活シーズンですね。様々な情報が氾濫する中で、自分とはいったい何なのか、いろいろと考えてしまう時期でもあります。仕事を選ぶということは、社会とどのように関わっていきたいのかということです。

全ての会社は社会の何らかの問題を解決するためにあるもの。おいしい物を食べてもらいたい、キレイになってもらいたい、効率的に物を届けたい。全ては今満たされていない何かを解消するための活動です。

だから、ステキな会社を探す時は、まずは会社そのものよりも会社が向かっている課題に注目するべきです。次にその課題を解決するために一番良いところはどこなのか、と考える。

…とは言うものの、課題というのも抽象的すぎてイメージが沸かないのも事実。実際に相当難しいことです。そこで、次はアプローチを変えて、自分の願望に目を向けてみます。

 

人が仕事を選ぶ理由は2つしかない


人が仕事を選ぶ理由は2つしかありません。WhatとHowです。

Whatとは仕事を通じて何を達成したいのかという観点からの仕事の選び方で、Howはどのように働きたいのかという観点からの仕事の選び方です。

Whatは自分が何が好きなのかという興味の問題です。車が好き、家電が好き、子供の笑顔が好き。何か強く好きなものがあるということは幸せなことです。そのことに関われるだけで楽しくなれるなら、それに勝るものはありません。

一方で、Howは働き方の問題です。海外と関わりながら働きたい、密度の濃い時間を過ごしたい、お金をたくさん稼ぎたい。これは何をしたいのかというよりもどのように働けると幸せなのかというものです。

多かれ少なかれ、この2つを考えて人は仕事を選びます。どちらも満たされれば最高ですが、なかなか現実は厳しいもの。では、どちらを優先させて考えるべきでしょうか。

 

Howから考える方がわかりやすい


Whatがある人はそれを優先した方が良いでしょう。自分が好きなものがあるというのは、やはり素晴らしいことです。好きに勝るものはありません。一方で、強いWhatが見つからない人も多いのではないでしょうか。残念ながら、自分もそのひとりです。

そんな時は、働き方から考えた方が分かりやすいと思います。どのように働けると自分は幸せなのか、と。ある程度先の読める働き方が良いのか、全く先の読めない働き方の方に面白みを感じるのか。ひとりの仕事が好きなのか、チームプレイの方が好きなのか。

好きな働き方は自分がどのような状況が好きなのかということなので、自分が何を好きなのかよりも分かりやすいはずです。好きなものを突然探すことはできませんが、どんな風にいられると心地よいのかということは振り返りやすいものです。

 

まとめ - PerfectではなくBetterを


最後にWhatとHowはその時々によって変わってきます。中身も変わる上に、その比重も変わります。それを人生の中の一時点で決めろという方に無理がある。

だから、まずは自分が何を軸にその仕事を決めたのかを理解して、少しずつ改善していけば良いのです。この仕事ではここができるけど、これができない。だから、この仕事を選ぶ。というように。そのように選び方には説得力もあります。

少しずつBetterを積み重ねていけば、きっと自分にとって良い仕事というものが見つかるはずです。そして積み重ねるためには、まずは動くこと。少しずつコツコツと小さなヒットを積み重ねること。それが良い仕事探しなのではないかと思います。

ではではー

 

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良いレビューとは何だろう?

近頃、『Think!を2006年度分から読み返す機会があり、また同じ記事で唸ってしまいました。今回はレビューについて掘り下げて考えてみたいと思います。

20100419THK011.pdf (page 1 of 6)
20100419THK011.pdf (page 1 of 6) Photo by 130shin

 

レビューとは何か?


どんな職場でも、上司と部下がいれば行われること。それがレビューです。では、レビューとは一体何なのでしょうか?

えてしてレビューは形式の確認に終始しがちです。しかし、形式のレビューは、マイナスからゼロにしてくれるものの、ゼロからプラスにはしてくれません。この感覚はどの職場でも共通らしく、「ノーバリューアッド」と言われてしまうことも多々あるようです。

ですが、レビューは本来は生産的なものです。一つのことがらに二人以上の人がかかわると視点の交差が生まれるからです。

 

レビューの機能と定義


価値のあるレビューとはどのようなレビューでしょうか。視点の交差ということから考えれば、一つのことがらを、複数の目線で捉えやすくなるということがレビューの良い点です。

すると、レビューの機能は、多面的な見方をすることによってものごとをありのままの形で視ることができるようにすること、であると言えそうです。一人では見ることができなかった視点からものごとを視ることによって、別の論点を見つけることができるのです。

そのため、レビューとは、ものごとの形をより正確に捉えるために、担当者の視点に加え、異なる視点で視た場合の質問を担当者に行なうことであるとなります。

 

2つのレビューの失敗の方向性


レビューを視点の追加と考えると、その失敗は2つに分けられます。

  1. 担当者の視点をなぞっただけで新しい視点を追加していない
  2. 視点の追加による論点の設定がものごとの本質を捉えるものではない

1の例は、ちょっと突然ですが、「容疑者Xの献身」です。容疑者Xの仕立てたストーリーの通りに考えると筋が通っているため、それで正しいと考えてしまうというものです。

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これはレビューアが視点の追加を行なっていないため、レビューがノンバリューアッドになってしまう例です。時間が無いときについついやりがちなミスです。

一方で、2の例は「コメントしないと格好がつかない」場合に起こります。視点を追加してはいるのですが、全体に対するインパクトが小さい部分にしか目線が届いておらず、結果として重箱の隅をつついている場合です。

1も2も、レビューアが気をつけていないと陥りやすいミスです。特に2はレビューアのコメントに担当者が対応することを考えると、結果として時間の浪費にも繋がりかねないミスなので絶対避けたいところです。


まとめ - 良い視点を追加しているかを考えよう!


レビューとは視点の追加であると考えました。担当者はどっぷりと問題に浸かっているため、単一の視点に陥りがちです。その補足のためにレビューアはレビューを行なうという意識が大切です。

一方で、視点を追加する時には、加えた視点がものごとをよりよく視るためのものかどうかということを考えなければいけません。担当者の視点をなぞるのはダメですが、部分的な視点を加えるだけもまたダメです。

経験上、レビューアが全く異なるアプローチで考えて、担当者と同じ結論に辿り着くケースを何度も見てきました。そのような別のアプローチができるようになるまで、レビューアとして精進せねばと思います。

レビューは奥の深い技術だとつくづく感じます。上手なレビューは担当者を一人では辿り着くことができなかった境地に導いてくれます。

まだ苦手な部類の技術なのですが、精進したいです。

ではではー

 

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【ダイバーシティ・プロジェクト】内田氏×勝間氏対談講演

どんな話にも具体例を出せる内田氏と、どんな話もデータに基づく勝間氏のハイレベルな討論でした。

朝日新聞社 ダイバーシティー・プロジェクト:イベント情報
朝日新聞社 ダイバーシティー・プロジェクト:イベント情報 Photo by 130shin

 

議論の目的は、成熟化した日本が競争力を取り戻すためにはどのような働き方をすればよいのか、というもの。それぞれの結論は、僕は以下のように理解しました(以下、完全に僕の理解ですので、その旨何卒ご了承下さい)。

 

内田氏


今の画一的な雇用に関する意識を、企業も従業員も変える必要がある。

従業員は企業を成長の機会とスキルを与えてくれるか否かで選ぶことが大切。大企業では「企業内価値」を上げることに専心しがちで、それは市場価値とは異なる可能性がある。一方で、企業側、特に大企業は、旧来の意識で採用を続けていると、企業にぶら下がる意識の従業員ばかりが来る可能性があることに危機感を抱くべき。

 

勝間氏


今の生産性の低い長時間労働が問題。それを解消するためには適切な競争が必要。競争を造り出せば人材は適切な場所に配置されるようになる。働く人、働き方、もっと多様性をもたせるべき。イノベーションは製造現場だけでなく、組織にも必要な考え方。今は働き方のイノベーションが必要。

 

論点 - どのような働き方が企業の競争力と働き手の幸福度を高めるのか


日本は成熟化しており、従来の働き方では日本は世界の中で競争力を失っていく可能性が高い。解決のために、どのように働けば持続的に競争力を高めることができるのか。

 

結論までの背景


勝間氏が切り込み、議論がスタート。週50時間以上の勤務が当たり前である現状は、ホワイトカラーの生産性の低さに起因するものと主張します。長時間労働は家庭にも影響を与え、日本の労働環境を悪くしているとの持論を展開。一方で、内田氏は日本企業の競争力を労働時間の短縮後も維持できるのかという疑問をぶつけます。

次第に、時間を短縮するだけでは不十分で、生産性の改善のためには評価制度や経営者・従業員双方の意識も変わらなければならないという議論に。

従業員は自分のスキルがどの程度なのかをもっと考えながら働かなければならないと。つまり、自分がどれだけ時間当たりお金を使って、どれだけ稼いでいるかをもっと意識して働く必要性が訴えられます。

一方で、経営者や上位者は、どのように仕事を割り振るかについてもっと意識する必要があるとの話に。例えば、働き手の多様性のために母親従業員を雇い、その方のために仕事の総量を他の従業員の半分にしたという例。これは解決になっておらず、母親従業員は翌週の仕事の予測可能性(プレディクタビリティ)を重視しており、経営者の意識とのズレが生じていたというもの。

もっと多様な経験を積んだ多様な人がマネジメントを勤めないと、従業員の多様性は達成し得ず、業務の仕方も固定化されて効率性も上がらない。それを達成するための方法として両氏の主張があるのだと理解しました。

 

感じたこと


全体として内田氏は経営者寄り、勝間氏は従業員寄りの視点からの議論でした。立場を異にして話を進めていたので非常に論点がクリアです。今回のディスカッションで個人的にこれは論点だなぁと思ったのは以下の3点。

  1. 個人の企業内価値と市場価値は連動しないこと
  2. 生産性に対する評価制度をどうするか
  3. 多様性を可能にすることは結果として組織の自分への依存度を下げること

1は企業内には独自のルールがあるため、それに精通するほど、他の企業で使えるスキルを犠牲にしがちという話。これは、企業としては人材の囲い込みとして良いのかもしれませんが、従業員としてはたまったものではありません。解決法は雇用の流動化です。雇用が固定化しているから業務の標準化の必要がなく、独自の文化が根強く残り、非効率の温床となるのだと思います。

2は単純に時間短縮で働けば良いのか?というお話。組織ですから下のスタッフを育てる必要もあるわけで、それには時間が掛かりますと。一方で、時間と成果物だけで評価されることなれば、下のスタッフを酷使するハイパフォーマーが評価されることは必至。次第に組織が疲弊するのではないかなぁという疑問です。これは、P&Gのように上位者は下のスタッフの仕事によって評価されるといった評価制度が必要になるのではないでしょうか。

3は究極なのですが、自分が仕事を標準化すると、誰でもその仕事ができるようになって、結局自分がクビになってしまう可能性が高まるということ。組織の効率化に貢献した場合にはちゃんと報いられる文化がないと、がんばり損になってしまう。これには、組織なり転職市場なりが効率化を評価する環境が必要です。

 

第一ピンは何か


結論としては、競争原理の導入や評価制度を変えれば良いだけではなくて、社会の意識が効率化を重んじて、豊かに時間を過ごしましょうという方向に向かわないと難しく、やっぱり問題は根深いね、という感覚を受けました。

でも、それでは何も変わりません。では何を一番最初にするべきなのかと考えると、雇用の流動化なのでしょう。もっと転職が一般的になればいい。

雇用の流動化は勝間氏の主張する競争原理や、内田氏の主張するスキルを意識する働き方を促します。すると、自分の働き方の費用対効果を考えざるを得ない。次第に生産性は上がるだろうという考え方です。

一方、従業員の意識を短期志向に向かわせるものであるという点もあり、行き過ぎた流動化は長期的な組織の発展を妨げます。

ですが、それでも効率性を問題にする限り、雇用の流動化は避けて通れないものだと思います。今の長時間労働の解決のためにも、非雇用者の労働参画のためにも、もっと仕事は細かく分類されていくべきで、それに対処できる人が適所に配置されるのが良いはずです。

世界各国の幸福度は、平均的には30代を底にしたU字型を描くのに対し、日本の幸福度は生涯ずっと下がり続けるという調査結果もあるそうです。 

もっともっと皆が幸せに働ける国にしたい。そう感じた今回のディスカッションでした。

ではではー

 

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ジョブズが最後に壊したもの

時間が経って、なんとなく分かってくることもある。

Apple
Apple Photo by 130shin

 

僕は今、仕事をしながら大学院に通っている。

この生活には二人恩人がいる。一人は今の恩師。恩師が情報発信していなかったら、少なくともこうやって生きる選択肢を選んでいないだろうし、もしかするとそんな選択肢があることを僕は考えもしなかったかもしれない。

もう一人が、僕にその出会いをくれたiPhoneを創ったジョブズその人。iPhoneを初めて手にして以来、すっかり僕はAppleのファンになった。だから、このエントリーでは感謝の意を込めて、なぜジョブズがこんなに愛されるものを創ることができたのかを考えたい。

 

創造と破壊


ジョブズは創造的でビジョナリーだ。ジョブズを一言で言い表すと「ビジョナリー」と答える人が多い。

けれども、以前のエントリーにも書いたように、ビジョンを実行する組織を創ったことがすごかった。ビジョンはあくまで将来ありたい姿でしかなくて、それを実行に移せる力がなければ夢想でしかない。だから、ジョブズが示したのは、単にビジョンを創る力ではなくて、起業家の理想的なスキルのセットだったと思っている。

でも、僕がもっとすごいと思うのは、ジョブズの壊す力だ。

とにかくジョブズは何でも壊した。業界の慣習、使いづらい製品。でもそれだけではなくて、過去の自分をも壊した。そう、ジョブズが最後に壊したものは、自分のビジョンだった。

iPhone提供キャリアの制限、Macをハブとした製品ポートフォリオ。最後に壊したものは、全てジョブズがAppleに戻ってきてから創り出したビジョンだ。自らが創り上げた成功の体験を全て自ら壊していった。それが、Appleが革新的な企業として評価される根本的な理由だ。

 

壊す力


そう、壊すこと。それが必要なんだ。限られた資源で新しいものを創りたいと思ったら、昔のものは壊されなければならない。

最後にジョブズは自分の創り上げた世界を、限りなくフラットにして去って行った。それは未来は君たちが創れと言っているように僕には聞こえた。また、新しいものを創る土台を最後にプレゼントしてくれたようにも見えた。

新しいものを創るチャンスをもらった僕たちは、またさまざまなものを創り上げるだろう。けれども、それらもいつかは壊されなければいけない。過去の自分をすら壊す力。それが、次の新しいものを創る力だ。

壊す力と勇気を教えてくれたあなたへ言うべきは、ありがとうではないのかもしれない。

I will show you.

 

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現代技術と知的生産

「知的生産」という言葉にほだされて、過去の知的生産長者の本を読み返す日々です。
で、今の時代に生きてるのって本当にシアワセだなぁと思ったのですよ。

1969年の知的生産の技術では、カードを利用した情報の創造術が披露されています。素晴らしい方法ですが、著者はカードの大きさ、発注、そして、持ち運びに大変たいへん苦労されたようでした。

今はEvernoteがカードの大きさの問題も持ち運びの問題もクリアしてくれます。しかもタダ。

1976年の知的生産の方法では、如何に書斎という城を築き上げるかについて熱く語られています。本の中にオススメの新築の間取りが載っているぐらいです。

本の保管場所の問題は深刻に知的生産者を悩ませます。本の置き場所のために自分のスペースが無くなるという完全な主従逆転現象が発生。

今ではScansnapスキャポンがあります。そのうち電子書籍も普及するでしょう。書籍へのアクセスの問題、保存場所の問題、全てクリアされていきます。しかも驚きの価格で。

知の巨人たちが欲しても手に入らなかった環境が一般市民でも手に入ってしまう。

すごい時代です。

ではこの先どうなるのかちょっと考えてみましょう。

まず、電子書籍の普及は確実に人類の知的生産の効率を進歩させます。いつでも、どこでも自分のパーソナルな読書経験にアクセスできるようになることの知的生産への影響は計り知れないものがあります。

リファレンスが瞬時かつ無制限にできるのです。いつでも、どこでも、思いついたときに。
自分の記憶に自由にアクセスできるというのは、皆の知識を検索できることとはまた違った深みを見せてくれるでしょう。

また、さらに長期的にはパーソナルな情報が引き継がれるという状況が生じます。
情報相続です。

すると、ある特定の情報にアクセスできる人たちが 継続的にアウトパフォームするという事態も起こるかもしれません。学問一派、知的一族。さらには、ある人の記憶を巡って抗争なんか起きてしまうかも。

現代技術、バンザイ!!

当たり前になる未来の先駆けを目の前にしている現実に、ちょっとドキドキします。

ではではー

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コミュニティの価値

世界はソーシャルに向かっています。様々なものがつながり新しい価値を生み出しています。今まで繋がることのなかった人たちがつながり、今までつながることのなかった知識がつながり、新しい価値が生み出されている昨今。とても素晴らしいことだと思います。新しい知識のほとんどが既存の知識の新しいつながりであることを考えれば、ソーシャルネットワークは今まさに新しい価値を生み出し続けていることになるわけです。
 
ただ、最近ちょっと考えていることがあります。広がり過ぎたコミュニティは単に今までとは別の種類の「マス」を生むだけなのではないかということです。

逓減

コミュニティの価値曲線

上の図のように、ソーシャルネットワークのコミュニティは収穫逓減な価値曲線を描くのではないかなぁと考えています。つまり、当初は見知らぬ個人が繋がることによって、どんどん価値を生み出すコミュニティが形成されていきます。この段階でのコミュニティの価値は参加者が増えることによって増えていきます。そして、ある一定時点を超えた時にグッと価値がつり上がるのです。

しかし、ある程度の人数を獲得したコミュニティの価値はその後ほとんど増えなくなり、さらには許容人数を超えるとコミュニティの価値が毀損し始めるのではないかと思うのです。何故かというと、コミュニティの品質は参加者の平均だからです。誰しもが参加できるコミュニティの価値はどんどんと平均へと近づいていってしまうのです。

最初は尖っていたサービスも、参加者が増えるにつれて普通になってしまいます。Mixiも広がりすぎて閉じたコミュニティを放棄してきていますし、参加者の高度な質問と回答を売り物とするQuoraも参加者があまりに増えれば質が落ちていってしまいます。そして、また特徴の無い「マスサービス」が出来上がってしまうのです。

様々なサービスが陥った罠
 
これは、新聞・テレビの凋落からも想像できます。最初は新聞を取っている人は知識人だったのですが、購読者数が増えて段々と一般大衆化されてしまいました。その結果尖った意見を発信しづらくなり、どんどんと特徴がなくなってしまったのです。

TVも視聴者数が多くなるにつれて、様々なユーザーの興味に番組が応える必要が出てきてしまいました。結果が平均的な視聴者を想定したつまらない番組の量産です。インターネット上のソーシャルコミュニティも同様の変遷を辿ってしまうことを心配しています。
 
解決策?

では、それを避けるためにはどうすれば良いのか。それは、コミュニティをどこかで閉じることです。完全にオープンな広場には、皆が集まりすぎてどんどんと平均への回帰現象が起こってしまいます。
 
このコミュニティを閉じるタイミング、そして規模を考えることがサービス提供者の腕の見せ所になってくるのでしょう。最初は様々な人に門戸を広げる一方、徐々にユーザーを絞ることによってコミュニティの質を保つのです。

それが本当に上手なのがAppleなのだと思います。彼らは確実に一定のユーザーを捨てています。例えばFlash問題であり、例えば雑誌問題であり。でも、Appleという企業と製品を核に形成されるコミュニティは高度な品質をキープできています。
 
全ての人に好かれるサービスなんてないのです。ソーシャルネットワークも同じです。特徴の無いマスコミュニティになる前に、どこかで閉じられたコミュニティとなる必要があります。この閉じるタイミング、規模を考えるということは、皆に受け入れられるサービスを作り出した一部の達人にのみ課されるさらに難しい問題なのだと思います。

何かコミュニティを作ろうッ!と思ったときに注意するべき点ではあります。高度な悩みですけどね。

ではではー

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企業は社内Wikiを持った方が良いのではないだろうか

毎日思っているのだけれども、企業内の情報ってとってもアクセスが悪い。

Let the data shine...NOT: Wikipedia map v2

従業員は企業にしてみれば活動してくれる手足であると同時に、情報を生み出すノードでもあります。ある程度の命令を与える必要があるけれども、結構自立的に動いてくれ、しかも新しい情報まで生み出してくれる優れた端末です。

その端末から企業は日報や報告書のような形で情報を吸い上げるのですが、この吸い上げた情報が極めて活用に向いていない形でしか保管されていない気がします。

つまり、紙。

日報や報告書はいわば企業が従業員にお金を払って仕入れている情報です。それらの扱いがあんまりにもぞんざいなのではないかと思うのです。報告書や日報はおそらく上司の方が見られた後で上司の方の中でのみ消化されておしまいなのでは。とってもMOTTAINAI。

あなたの会社は企業内情報に外部の情報と同じぐらいアクセスできるでしょうか?世の中に出回っている情報はGoogleにより検索され日々発見・整理されています。一方で企業内で生まれた情報は検索ができ、使える形で残っているでしょうか。

ゲームの攻略Wikiに関するエントリで書いたのですが、情報を結びつけて一つの使える形にするという点ではWiki形式は非常に優れています。項目毎に検索ができ、関連するWordsが紐づけられ、使える形の知識として共有されます。このような形で情報が共有されることによる利益というのは計り知れないと思うのです。

例えば営業の話。山田さん(仮)をずっと担当していた担当者には山田さんの情報がどんどんと貯まっています。仕事、家族構成、趣味などなど。但し、その情報は完全に営業担当者個人に属人的な情報であり企業としては把握できていないはずです。すると、他の部署がその情報を使って適切な商品を提案するとか、代わりの担当者がいつもと変わらないレベルでのサービスを行うとかが全くできないのです。

日本の製造業にもwikiは使えるはずです。ある一定の条件下、温度・湿度・時間などで特定の加工方法を試したら成功しやすいのかしにくいのか。職人さんの属人的な情報が共有されればもっと見習いの進化が速くなるはずです。

企業内情報のWiki化。モジュール毎に個人が記載するため付加も少なく、運用コストも低いと思うのですが。情報流出リスクが高すぎるのですかね?

うーん。。。めんどくさそうだから誰もやらないだけな気がするのですが…

どうです?職場でチャレンジしてみませんか?

ではではー

関連本

ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ
ドン・タプスコット/アンソニー・D・ウィリアムズ
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協業の未来。これからの協業には4つのポイントがあるとします。1.オープン、2.ピアリング、3.共有、4.グローバル。1と4はより多くの人と協業することを、2と3は共有の仕方がよりダイレクトに深くなることを示唆します。この戦略の問題は収益化。オープンに共有された知識は確かに進化を早めてくれるのですが、ある特定の企業に利益をもたらすかというとなかなか厳しそう。企業がオープンなWikiを活用するためには何かもう一つ必要な気がします。

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開示の持つチカラ

物事を公にするっていうことは、とても力のあることだなぁと思った一件。

アメリカの証券取引委員会が新しい開示を義務付ける方針とのことです(Link)。内容は"Conflict minerals"について。

Conflict mineralsは、主にコンゴ民主共和国とその周辺地域で、人権の侵害を起こしつつ紛争を続けるグループによって採掘されている鉱物です(wiki)。このConflict mineralsを売ることによって得たお金でコンゴの内乱は続けられていると言われています。

逆から考えてみればConflict mineralsを買う企業があるがために、コンゴの内乱はファイナンスができているとも言えます。そこでなんとかしてConflict mineralsの取引を絞りたい。

ここからが自由の国アメリカっぽいのですが、直接取引に規制をかけるのではなく開示項目とすることによって間接的に取引を減らそうという考えのようなのです。

取引する企業は鉱物を安く仕入れるためにこのようなルートを使っているのです。ですが、Conflict mineralsを取引しているなんてことが公になったら、間違いなくその企業は非難を免れ得ないでしょう。そこで、この取引をを開示項目とすることによって、社会からの悪評などの取引コストを大幅に増やしてしまい、取引を経済的に割に合わなくしてしまおうという考え方。

頭いいなぁ。

物事を公にすることによって、社会的に望ましい行動を自主的に採らせることもできるという例だと思います。

どこかの国の新資格保有者数の開示制度とは違うなぁ。

ではではー

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海外から稼がないとどうしようもないじゃないか -会計的ニッポン株式会社考

国が豊かになるってどういうことだろう。

昨日のtwitterで「ケインジアンモデルへの挑戦」という英語のエントリーを紹介しました。経済学は流派によって経済への視点が異なります。需要を重視する流派、供給を重視する流派、財政政策を重視する流派に金融政策を重視する流派。さまざまな視点から今起こっていることを正確に理解し、将来につなげようとします。

会計だって同じ。日本のように活動の成果としてPLを重視する考え方がある一方、IFRSのように企業の価値を示すためにはBSの方が大事とする考え方もあります。こちらも目的はひとつ。企業の状況をより正確に財務諸表に反映させたいということです。

考え方は違えど、皆の心はひとつ。正確な情報を把握し企業を、国を豊かにしたいということです。では、再度冒頭の問い。国を豊かにするにはどうすればよいのだろう。

会計的に考えてみます。会計上、豊かさ=利益は下の式で表されます。

利益 = 収益 - 費用

この利益の最大化が問題となるわけで、そのためには収益を上げるか、費用を下げるかしかないわけです。この先は一度収益に絞って考えてみます。

ニッポン株式会社の収益を考えるときに問題となるのが連結という概念です。連結とはグループを全体として一社として考える考え方です。親会社から子会社に対して物を売ったとしても、それはただの保管場所の移動にすぎないため、収益が上がったとはみなされません。

もっと身近な例として、家族をひとつの会計の単位だとします。すると、お父さんが会社から稼ぐことで家族としてのお金が増えます。そのため、会社からもらう給料は収益です。一方で、こどもがお父さんからお小遣いをもらっても、家族として持っているお金は増えないので収益とはみなされません。

今度は、単位を大きくします。ニッポン株式会社を考えた場合、日本にある会社が日本人に対して物を売ったとしても、ニッポン株式会社の中でのお金と物のやりとりなので収益とはみなされません。ニッポン株式会社の収益が上がるのは、海外に対して物を売ったときだけです。

このように、収益の観点から考えると、日本が豊かになるためには海外へと物を売らざるを得ないはずなのです。

だから、僕は、「内需主導の経済回復」という言葉が何を意味するのかよく分かっていません(おそらく、費用の観点から考えればよいのではないかとは思います)。

お隣、韓国はもっとはっきりしています。自国内での商売だけでは今の経済水準を保つことができないため、海外に物を売るしか活路がありません。ただ、その結果、GDPの30%をSansung、LG、Hyundaiの3社で稼ぎ出すジェットコースターのような構造になってしまっているとのことですが。。

国が今より豊かになるためには、海外に対して物を売るしかないのではないか、というお話でした。

ではではー

<関連エントリー>
究極の少子化対策-その名は鎖国

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真夏の失敗学-日本の会社は線香花火

もはや、どの企業に勤めている方であっても、20年後に自分の会社が必ずあるとは言い切れないこの時代。多くの会社が打ち手を迷っている間に、新しい技術・価値観・需要が次々と生まれています。

昨今日本企業は様々な分野でイニシアティブを取ることができないでいます。このままこの状況が続くと10年後、日本企業はどのような行動をとるようになるのでしょうか。

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階では、企業の衰退の研究が報告されています。企業の衰退は以下の5ステップを踏むという研究結果です。

1.成功から生まれる傲慢
2.規律なき拡大路線
3.リスクと問題の否認
4.一発逆転策の追及
5.屈服と凡庸な企業への転落か消滅

2008年9月のリーマンショック前で多くの日本企業は既に2ステップを越えており、現在は3ステップ目の後半を越えたところでしょう。となると、次は4ステップ目の一発逆転策の模索です。

ても、本当に日本企業もその過程を辿るのでしょうか?

ここで日本とアメリカの差が出ます。アメリカの短期的な経営結果が求められるプレッシャーが日本にはあまり強く存在しません。長期視点経営を終身雇用制度と寛容な株主で文化的に支えている日本には、急激な転落は起こりづらい土壌があります。

つまり、日本企業では一発逆転策は採られづらく、本書の最後で提案されている漸次的な改善プロセスが採られる可能性が高いのです。よって、日本企業はおそらく大それたことはしないだろうというのが冒頭の問いの答えです。いままで通り、着々と仕事を続ける。

なーんだ。一安心…とも思えない。

ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)によれば、ガン細胞とは死ぬことを忘れてしまった細胞です。生命とは死と創造の動的均衡であることを考えれば、死ぬこともまた生命のプロセスの一環なのです。

法人と呼ばれるように会社は疑似生物です。その会社から構成される経済は生命のプロセスそのものです。

良くも悪くも、アメリカでは新陳代謝が激しいのに対して、日本の新陳代謝は緩やかです。これは文化の違いなのでどちらが上というものではないでしょう。日本の倒産数は年間6千件、一方、新規設立は10万件です(それぞれ東京商工リサーチ中小企業庁)。

決して悪い意味ではないのですが、死ぬべき時に死ねない会社というのも社会の成長力を下げることも確かです。日本の文化にはそれを許容するあまりに深い懐があります。

アメリカの会社は打ち上げ花火であるのに対して、日本の会社は線香花火であるようなものです。アメリカ企業の衰退は分かりやすいのですが、日本の会社は突然ポトリと落ちる可能性を孕んでいます。

今後はこの緩やかな文化を活かすことができないかを考えていきたいと思います。

ではではー

<もっと知りたい方へ>

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階
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生き残る会社、素晴らしい会社を研究した著者の次の研究テーマは、凋落する会社でした。いかに成功を保つことが難しいかが分かります。特に怖かったのが、没落する会社は決して座して死を待っていたのではなくて、傍から見ると昇り調子にすら見える激しい変革を行っていることが多いという指摘。中のひとは必至でビジョンを打ち出し、変革をマネジメントし、社員を鼓舞しているのにもかかわらず、それが後の失敗の種となっているのです。失敗の種は成功の最中に撒かれる。昇り調子の会社の方にこそ読むべき一作。

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(中小企業白書2010年度)

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